人生に絡む歌たち

2020.10.20

歌は世につれ世は歌につれ、と誰が言ったのかは定かではありませんが、歌はその時々の世情を表しているという、言い得て妙な表現であります。これまでの人生の中で特定の歌を覚えているということが大いにあるのではないでしょうか。昭和39年の東京オリンピックの時は、東京五輪音頭が流行りました。歌っていたのは三波春夫と記憶していましたが、そのほかにも多くの歌手が歌っていたようです。当時私は、小学5年生でしたので耳に残っているのは、三波春夫の歌声だったのです。因みに、橋幸夫、三橋美智也、坂本九という人たちも歌っていたようです。調べてみると、この歌は、特定の歌手のものではなく、NHKがオリンピックのテーマ曲として制定したもので、当時の人気歌手がこぞって歌ったようです。この時のオリンピックの際は、聖火リレーが国民的大イベントとなり、私たち小学生も学校単位で聖火ランナーが通る沿道に動員され、日の丸の旗を千切れんばかりに振り、聖火ランナーを応援したのです。上空にはキドカラーの飛行船がたおやかに浮かび、聖火リレーと共に感動したものです。このオリンピックの全容は、のちに有名な市川崑総監督のもと、映画となり、これまた、小学校全体で鑑賞しました。高度成長期にまい進するプロローグの時代でありました。その後、思春期に突入となる中学生になり、このころはグループサウンズの全盛期であります。沢田研二のザ・タイガース、堺正章のザ・スパイダース、萩原健一のザ・テンプターズ、そして、こよなく愛したジャッキー吉川とブルーコメッツ等々、今でも歌詞なしで歌える曲が沢山あります。小学生から中学生になり、ひと夏で7センチも身長が伸び、声もおっさんになり、一歩大人に近づいた気持ちになり、服装を構いながら、しかし、学校は校則で全員丸坊主のため、そのおしゃれだけは叶わず、深夜ラジオを聞き始めるようになったのです。当時、歌を聴くためにはテレビの歌謡ショーか、ラジオを聴くのが主流でした。レコードもありましたが、小中学生が買えるはずもなく、親が持っているのはせいぜい歌謡曲か、ド演歌だったのです。カセットテープが出現するのはまだ先なのでありました。では自分が聴きたい曲はどうしたのか、そう、通称ヤンリク、ヤングリクエストというラジオ番組にせっせとハガキを出すしかなかったのであります。ただし、みんなが聞きたい曲でありますから売れ筋の曲は毎日聴けたのです。机に向かって勉強をしているふりをしながら、手元の鉛筆は動かず、ラジオを凝視しながら、ひたすら好きな曲に聴き入っていたのでした。そして、時代は流れ、高校生になるとグループサウンズは下火となり、取って代わったのは、フォークソングでありました。アリス、かぐや姫、吉田拓郎、イルカ、小椋佳、ジローズなど、文化祭の終宴のキャンプファイヤーで「戦争を知らない子供たち」や「今はもう誰も」を肩を組んで歌ったのでありました。青春と呼べるのはこのころでありましょうか。そして更に時代は流れ、大学生、社会人と移ろい、松山千春や中島みゆき、安全地帯と積み重なっていくのです。もちろん、この間にキャンディーズやピンクレディが全盛期を迎え、この当時の子供たちが一生懸命その歌ごとの振りを真似して踊ったものです。社会人になったオッサンも宴会では、酒の勢いに任せて踊ったものであります。バブル全盛期には、トレンディドラマとともに浜田省吾、米米CLUB、ミスターチルドレン、シャネルズ、そして、再び最近またお騒がせの槇原敬之たちが一世を風靡していくのです。近頃は、48グループが席巻?しているのですが、おじさん、いや、おじいさんには誰が誰なのかちっとも判らないのです。でも、あいみょんや米津玄師は知っていますよ。なぜって、それは感性に響くからです、ハイ!