月別: 2021年10月

教育制度にもの申す

2021.10.20

明日の10月5日から今年のノーベル賞の受賞者が順次決定していきます。日本は湯川秀樹博士の受賞に端を発して多くの人々が受賞しています。過去のすべての日本人受賞者を今すぐには言えることができませんが、最近ではIPS細胞の山中伸弥先生、宇宙ニュートリノの小柴昌俊先生、文学賞では川端康成氏、大江健三郎氏などが思い浮かびます。私の記憶の中では、物理学賞、文学賞の受賞者が多いように感じています。近年、村上春樹氏の受賞が予想に上がっては消えていますが、大方の予想では受賞しても不思議ではないのです。
このように、各分野でノーベル賞を受賞できる背景は何なのでしょうか。研究に没頭できる日本人の忍耐強い性質なのか、研究を極められる環境なのか、それとも研究に至る学力の錬成なのか、素人考えではその本質はよくわかりません。しかし、素人なりに言えることは、ノーベル賞を受賞された方々の研究は、のちに我々人類のかけがえのない進歩に役立っているのです。そもそもノーベルは、ダイナマイトを発明して人類の生活に劇的な変化を与えたのですが、一方では、戦争兵器をも生み出して生産と破壊の諸刃の剣でありました。このように巨万の富を得たノーベルなのですが、自らの発明の使用が、善と悪に二分されたことに懺悔して、その遺言によって現在の財団を通じてノーベル賞が決定しているのです。確かに、様々な発明は、良いことに使われると考えがちですが、時として悪事に使われる可能性も否定できないのです。原子爆弾や、水素爆弾も戦争兵器として開発されたのです。もちろん、片方では原子力発電所や今話題の水素燃料として脱炭素社会に向けて研究が進んでいるのですが、人間の英知と煩悩は良きにつけ悪しきにつけ、摩訶不思議なのであります。このような話題と共に、今朝のニュースでは、日本人の学力に関連した話題が出ていました。現在の日本の大学の研究費は、欧米の大学の100分の1程度らしいのです。そして、大学のランキングでは、ベスト10には日本の大学名が無いのです。それどころか、東大さえも36位がやっとなのです。このような環境で、よくノーベル賞受賞者が出るものだと思いませんか。今の日本政府は教育に金を掛けないのです。日本国で教育に携わる行政府は文部科学省です。その政府の最大の愚行は、国立大学を法人化したことです。国立大学に資金を回さない理由として、その代わりに法人化して資金調達をさせているのです。おかしくありませんか?国が設立している大学にも拘らず、運営資金を自分で賄えというのは本末転倒ではありませんか。結果としてどのようなことが起こっているのかご存じでしょうか。資金調達のために産学連携などという美辞麗句のもとに、ベンチャー企業を設立して大花火を上げたものの、かつて役所がしゃしゃり出て第三セクターなどという看板の元、ことごとく破綻していった開発事業のように落とし穴にはまっているのです。企業として設立して株式上場したものの、デイトレーダーの餌食となってじり貧なのです。役人や学者がそもそもうまく商売できるはずがないのです。資本主義社会では、あらゆる研究は、やがて利を得る事業となるのは必然です。しかし、商売を成功させることとは別問題なのです。文部科学省には苦言を呈したいことが山盛りです。学力優秀な大学に行くためになぜ、塾が必要なのですか。学校の経費と塾の経費、二重に要るではないですか。塾のノウハウを教育制度に組み込めば良いではないですか。小中高で高度な教育プログラムを盛り込んでしまえば良いではないですか。こんな状況では、益々格差社会を助長するだけです。日本の現在の教育制度、また改めて言及していきます。余談ですが、アメちゃんのメーカーでノーベル賞あめ(現在のノーベル)という会社があります。「なめたらアッカン~」のフレーズの。この会社の社長は私の小・中・高校の同級生です。えっ?関係ない?こりゃまた失礼しました!