月別: 2023年4月

日常の暗転

2023.04.20

 日常とは、いつもと変わらない生活環境のことです。朝目覚めて天気が良くても悪くても、それはいつもと変わらない朝なのです。いつものルーティーン通り、朝食をとり、新聞に目を通して仕事に向かう、そして、若干の紆余曲折はありながらも、夕刻を迎え、帰宅するときもあれば、寄り道をして至福の一杯でのどを潤す、それが日常というものなのです。人間の生活リズムというものは、若干のイレギュラーなことも時としてありながら、毎日が一定的であることが、安息につながるのではないかと思います。その一定したリズムが崩れると、ストレスが増えてきたり、イライラすることが増えるのではないでしょうか。そういう意味では日常であることが幸せなことなのではないかと思います。では日常ではないことが起こる時というのはどういうときでしょうか。一番に思うのは、自然災害にさらされた時です。大規模な地震、阪神大震災や東日本大震災の時がそうでした。人々が作り上げてきた住環境が一瞬にして崩壊して、たくさんの人々の命をも奪ってしまったのです。瓦礫にまみれた現実は、まさに非日常であり、突然の悲しみとなるのです。また、常にニュースで取り上げられる自動車事故も日常を壊す数多い事象です。常に多くの自動車やバス、トラックが自分たちの周りに存在して、それぞれの運転者の意思で運転されているのです。事故のない日常は、それぞれの運転者がルールを守り、運転者同士の同意のない信頼によって成り立って事故もなく運行されているのです。しかし、たった一人のルールを守らず、相互の信頼を損なう行動、判断によって事故は発生してしまいます。渋滞に突っ込むトラック、信号を守らず正しく運転していた車との正面衝突、車線をはみ出しての対向車との衝突、総てがヒューマンエラーなのです。そう、これらも一瞬にして人生が暗転してしまうのです。また、病気による日常の激変もあり得ます。自分では健康だと過信して、少しの体の変化を感じて病院で検査をするととんでもなく重症になっていたということもあります。自分の体は頑丈だから少々無茶をしても大丈夫、だとか、食生活においても暴飲暴食、好き嫌い、爆食い、爆呑みなどいつでも大丈夫、という慢心がどういう結果をもたらすかということは、まさに、火を見るより明らかで、自業自得なのであります。そう考えると自分の健康管理というのは、石橋を叩いて渡るような慎重さと、健康管理に必要な知識を持ち合わせなければならないということになります。要は、健康への執着心と知識を身に付ける努力が必要なのです。どうすれば病気になるのか、病気になる原因は何か、どんな生活習慣で過ごせばよいのか、食事と体の関係はどういうことなのか、総てが必要だと感じます。人間の体の組成を持つ限り、あらゆる病のリスクを総ての人が持ち合わせているのです。これまで病気にかかるということは、幸運、不運のなす術だと思っていましたが、病気になる責任は、総てが自分の責任なのです。昔から我々が教えられてきたことは、例えばガンになるのは遺伝的要素が強いとか、ガンになりにくい体質だとかと教えられてきましたが、全くそんなことはないのです。ただ、DNAを調べればその組成で自分のガンリスクを知ることが出来るらしいのです。しかし、それは根拠があるとしても、後天的な要因が大多数でもあるのです。ということは、ガンにかかるリスクは、みんなにあるということなのです。病気にかかるということは、日常が一変します。治療に全霊を傾け、家族にも仕事先にも少なからず影響を与えてしまいます。しかし、いざガンに侵されたとしても現代の医療技術は目を見張るものがあります。診察から各種検査体制、高機能の医療機器、病院全体のシステム化など、付き添いが全く必要ない環境で治療に集中できるのです。そして、経験、実績豊富なドクターが親身に治療をしてくれます。病気は、人間の最大の敵かもしれません。予防医学、予防医療によって病気をしないことが大切ですが、救世主は、そう、現れるのです。恐れるに足らず、しかし、大切なのは、日常の自分の健康管理なのであります。天の声「おまえが言うな」失礼しました!