月別: 2021年2月

一喜一憂

2021.02.20

 冬至からゆっくりと陽が長くなり、もう暦の上では立春を過ぎました。今回の冬は、久しぶりに厳冬となり、メリハリの利いた寒さでした。地球温暖化というものの、地球全体の四季はやっぱり地球の各地に存在しているのです。日本でも春夏秋冬、その姿を見せてくれています。そして、各季節にはそれぞれに花を楽しむことができます。今現在なら水仙でしょうか。大阪近辺では淡路島の水仙郷が見頃です。そしてちらほら開花していっているのが梅の花です。梅干しで有名な和歌山県の南部や奈良の月ケ瀬辺りが梅見スポットでしょう。3月になれば王道の桜です。このように日本では春先だけではなく、年中様々な花を愛でることができます。私たちは素晴らしい国に生まれましたね。肌で感じる風も四季折々なのです。コロナ禍でダメージを受けた心身を、そんな花をみて癒したいところなのですが、この非常事態宣言下ではそういうこともはばからざるを得ないのでしょうか。リモート呑み会などという意味不明なことがもてはやされていますが、なんとも空しく、味気ないことに感じます。乾杯のカチンというグラスのあたる音が聞こえるからこそ疲れをいやすわけで、自分でグラス二つをぶつけても空しいだけです。お互いの顔を見ながら、ランダムに話題を交換し合うことが楽しいのです。リモート呑み会をやるぐらいなら、たまには孤独を感じながら、熱燗を独酌で呑み、舟歌でも聞きながらちびちび呑むほうが、ストレスは解消するのではないでしょうか。でも、厳しい制約から編み出した新手法だけに、一概には否定できないのですが。

 さて、日常を暮らす中で、感情の動物である人間は、常に様々な感情に晒されます。バラエティを観ている最中に、災害のニュースのテロップが速報で流れると、その瞬間、気が重くなります。宝くじが当たると信じて大事に持っていても発表の瞬間、当たらぬ怒りで破ってしまうということも、あります。よく見る光景は、競馬の大レースでゴールに馬が入線した途端、馬券が舞い散るニュースのシーンを見たことがあると思います。それは、悔しさ以外の何物でもありません。あとワンアウトでこの試合に勝つと信じていたのに、サヨナラホームランを打たれて逆転負けを喫した野球のプレー直後、テレビを外に投げ捨てたいと思う気持ち、例外なくファン同士は、共有するものなのです。皆さんも悔しい思いをした経験は、語りつくせないほどたくさんあるでしょう。その中で、一番悔しい思いとは何でしょう。わたし的には、星の数ほどありますが、悔しさというよりも、何で?という記憶が鮮明に残っている出来事があります。それは、小学四年生の国語の時間におきました。先生が「よく似た漢字を二つ言いましょう」と質問しました。その時、自信満々に勢いよく手を上げ、瞬間ひらめいた漢字を答えました。「キュウとマル」と。すると先生は、「ん?それは違うでしょう、似てないね」と答えたのです。ウソっ!!似てるやん!「九」と「丸」、絶対似てるやん、なんで?なのでした。まさか「9」と「〇」と判断したんじゃないでしょう。勉強しない子の発想はそのようにイメージ変換された、とか。50年近くも抱いていたそんな鮮明な記憶を解決したいと思っていたところに、10年ほど前に何十年ぶりかで同窓会があり、先生に尋ねました。すると、先生は、全く覚えていませんでした。今となっては、全然こだわることではないのですが、さて、皆さんのジャッジは如何なものでしょうか。そのように、些細なことにも人間は一喜一憂するのです。もし、その当時、先生の反応が「そうやね、似ていますね」という答えだったとしたら、自分の人生は180度違っていたかもしれない、もっと賢い子になっていたかもしれない・・・そんなわけあるか!