一陽来復 冬の終わりに

2025.05.20

 4月の祝日、朝のテレビ番組で「病院ラジオ」という番組がありました。お笑い芸人のサンドウィッチマンの二人が病院を訪れて、入院している人たちとトークを交わす番組です。この日は、小児科の病棟で入院中の子供たちとのトークでありました。小児がんで入院している高校生、生後間もない時に内臓不全のためヘリで緊急搬送されて、2年間PICU(小児集中治療室)で治療を受け続けている幼児、染色体異常で歯や鼻のかたちが整わない12歳の子供、摂食障害で精神的治療を受けている高校生など、たくさんの入院中の子供たちとのピュアなトークでありました。登場した子供たちに共通しているのは、みんな自分の意志とは関係なく病魔に襲われたことです。自分の不注意や生活習慣がその原因ではなく、先天性であったり、突然の病変で日常を奪われてしまったのです。この子たちの話を聞いているうちに、自然に涙ぐんでしまうことがありました。それは、みんな現実をしっかりと受け止めて、日々の治療に臨んでいることです。その話しぶりは、総て前向きであり、現実をしっかり自分で受け止めているのです。それを聞いているお母さんが、涙ぐむ場面もありましたが、子供たちはそれまでの苦難を乗り越えてきた力強さをも感じさせる様子であることが、私には感動としか言えない状況でした。しかも、自分たちの治療に携わっている医師や看護師さんたちへの感謝の言葉も、自分の意志で言えること、それは大病の経験から得られた自分自身で形成した素晴らしい人間性だと感じました。その会話の一つ一つは、感情にとらわれることなく冷静で、大人を凌駕するほどの落ち着きさえも感じ取れたのであります。そして、もう一つ感じたこと、それは、この子たちの治療に携わっている人たちの、冷静で、しかも温かいまなざしで接している人たちの輝きです。医療関係者には鉄則があります。それは、病気やけがをされた人たちに決して感情移入をしてはいけないということです。なぜなら、そのことで事実を見失うことや、ややもすると自分自身が、消耗してしまう可能性があるからです。冷静であることは、はたから見ると冷たくも感じてしまうことがあります。しかし、そうしなければ想像を絶するくらいのたくさんの患者さんに、平常心で対処できないからだと思うのです。でも、一人の人間だから常軌を逸する瞬間もあると思うのです。しかし、そんな状況を過去に経験したからこそ、意図的に平常心を作り出せるのでしょう。人間というのは、万人が、辛いことも、嬉しいことも、嫌なことも、楽しいことも人生の中で経験していきます。けれど前出の子供たちが,その全てそれまでの短い時間で経験できるはずもなく、しかしながら大人でさえも納得させることができる説得力を持ち合わせているように感じたのであります。病気であるのに、その先に希望を見いだして、災いと戦い続ける様は、勇気そのものなのであります。普段、健常者が忘れていることを思い起こさせてくれる時間でありました。私が中学生のころ、N君という友達が居ました。彼は、小学校に入りたての頃、父親が経営する工場で仕事用の硫酸を全身に浴びて、大やけどを負いました。その彼と、体育の授業で柔道の練習があったとき、たまたま組手の相手となったのですが、手を抜くことなく、その時の勝負をしました。自分が勝つに決まっていましたが、手加減はしませんでした。この状況で現代なら、本気で対戦したら弱い者いじめだとか、勝ちたくて空気を読めないとか言われるかもしれませんが、自分は、普通の健常者と同じように相対して、お互いの達成感を共有したかったのです。冬の寒い日の授業のひと時でしたが、Nくんもゼイゼイと白い息を吐きながらにこりと笑っていました。この時代、偏見を持つ子たちもいたのですが、その日以来、おれが用心棒だと心に決めたのです。最も、同じクラスの全員が、偏見の微塵も持っていなかったのが、素敵だったのであります。文化祭も体育祭もみんなNくんと一緒に楽しみました。Nくんは、成人して早い時期に亡くなりました。でも、彼岸でまた、柔道の組手で対戦したいと思うのであります。