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最後の平成
2019.01.20
天皇陛下が退位されると発表されてから世の中は、平成最後の、とか、有終の平成などの触れ込みがあふれ出ました。1年間の行事が、その場になると平成最後になるのは自明の理です。平成最後の紅白、平成最後の有馬記念、平成最後の大晦日、等々。当たり前ですよね。みんなが平成最後の誕生日を迎えたのですから。「昭和生まれの平成最後の誕生日か。そして次の元号の時代も生きて天皇三代に亘って生きるんだ!なんて幸せなんだ!」とは思いませんが、昭和の時代が63年の永きに至ったわけですから、三つの元号で暮らせるのは、確かに幸せであるかもしれません。でも、西暦でいうと今年も来年も去年も最初でもないし、最後でもありません。日本に於いての元号とは、かくも不思議なもので、一つの区切り、けじめとして世間では大きな話題にするのです。私たちもノスタルジックな部分と新たな希望のようなものを携えて新しい天皇の時代に向かっていくわけです。天皇陛下は我々国民、国の象徴であり、それが魂の根源になっているのです。花のニッパチは、昭和の後半を謳歌しました。まだ敗戦国の空気が漂う昭和28年に生まれ、十分ではない衣食住の環境に育ち、しかし、みんなが貧乏であったため、貧乏の空気は一切感じず、のびのびと育ちました。そして、やがて来る高度成長時代の恩恵にあずかり、オイルショックは経験するものの、更なる経済成長の波間に漂い、バブル期を迎えたのです。そんな昭和を引き継いだ平成は、どんな時代だったのでしょうか。平成のうちの20年を会社経営という立場で過ごしてきた訳ですが、平成もまた、山もあり谷もあり、凪もあり嵐もあった30年でした。世間的に言うと、平成の始まりはバブル経済の終末期でありました。そして、2000年問題を経てリーマンショック、イランイラク戦争もありました。阪神淡路大震災、東日本大震災のふたつの大きな災害も経験しました。経済的にも自然環境的にもあまり良い思いをしなかったようにも感じますが、日本の国全体で考えれば、平和で、そこそこ裕福で騒乱もなく、無事乗り越えてきたのではないでしょうか。むしろ、平和ボケと言いますか、子供の学力やモラルが下がり、大人たちも給料が上がらないせいか仕事に対する意欲もそこそこで、学術研究も諸外国に押されていったように感じます。政府は国立大学に対する費用負担をケチり、法人組織化をして学問と利潤追求を混ぜこぜにしたのです。そのため研究費に困窮する分野が増え、優秀なブレーンを海外に逃してしまっているのです。福祉予算や教育予算を削減していくような国の将来は無いのではないでしょうか。周辺国の脅威にさらされている現状では防衛予算も必要ですが、最も政府がしなければならないのは、民間企業への支援だと思うのです。大手企業が成長するためには、その下請けの存在であったり、ニッチを担う中小企業の存在が不可欠なのです。世の中の企業の八割が中小企業なのです。しかし、全企業の売上の僅か2割しか稼げないのも事実です。そんな脆弱な中小企業の生きる道は何か。それは人材が総てなのです。設備投資に勇気を奮えない、長期計画を立てることができない、得意先を取った、取られるが日常茶飯事、売上計画に自信がない、そんな中小企業に必要なのは、自分自身を売り込める人材以外にないのです。よく大手企業では組織の一員、などと言いますが、中小企業ではみんなが社長なのです。組織の全員なのです。果たして新しい元号の下でどうなっていくのでしょうか。この新しい年を迎えて、我が社を含めた中小企業、一段の飛躍をしていきたいものです。一寸の虫にも五分の魂、今年はこれで行きますか。