月別: 2023年8月
生きてるだけで丸儲け
2023.08.20
私たちが生を受けて生きていく中では様々な危険が待ち受けています。平穏無事に生活できているのは、所詮結果論であるわけです。猛威を振るう暑さの中で様々な水難事故も報道されています。海辺で遊泳中に子供が波にさらわれ、その救助に向かった父親が、子供を救助したものの、自らは溺死してしまったという、なんともやりきれないニュースも伝えられています。また、川遊びをしていた複数の女児が深みにはまり、流されて命を失ったという事故のニュースもありました。海は、高波や引き波など海流が原因となる事故が多く、川や湖は、淡水であるが故の、浮力に起因する事故や、突然深みにはまる事故が頻発するわけです。私も小学6年生の時に川で水流に足を取られて数十メートル流された経験があります。この時は、深みから浅瀬に流れ着いて助かったのであります。また、大学時代に浅瀬でビーチボール遊びをしていて、そのビーチボールが風にあおられて沖合に流され、それを追いかけて泳いでいったのですが、ビーチボールはどんどん風に流され、しかも追い付かず、知らぬうちに人が点になるくらいのところまで行ってしまいました。この時点でもう無理だと感じ、諦めて戻ろうとしたのですが、折しも向かい風が強く、泳いでも泳いでも岸に近づかなかったのです。そうこうしているうちに力を使い果たし、もう駄目だと感じ、泳ぐ動作を止めて沈みかけたその時、顔が出るくらいの浅瀬に足がついたのです。そう、まだ波打ち際まで50メートルぐらいあったのですが、この浜は、遠浅だったのです。この二つの経験は、幸運だった以外の何物でもありません。運が良かったのです。運が良い悪いで片づけてしまうのもどうかと思いますが、偶発的な出来事で生死を分けてしまうことも往々にして起こっているのです。飛行機事故、列車事故、自動車事故など、自分の意図とかけ離れたことが原因で、命を失ってしまうことが起こってしまうのです。これはもう運命というしかないのです。もちろん、ヒューマンエラーによって自分の人生を他人によって変えられてしまう理不尽も起こります。そんな怒りも、命を絶たれてしまっては、無に帰してしまうだけです。親族がその怒りを代弁したとしても、当事者にとっては全く意味のないことなのです。死は無を意味するのですから。病気で亡くなる場合は、状況によっては人生を回顧する猶予が残される場合があります。もちろん、大動脈乖離や急性心筋梗塞、くも膜下出血など、即死に至ることもあります。これは運が悪かった、不幸だったとも言えますが、著名な執刀医に恵まれて九死に一生を得ることもあるわけです。そんな人生の中で、今、無事に生活できているということは、まさに奇跡的だと思いませんか。そうなると、人間すべてが奇跡的な状況で生きているということになりますが、そもそも人間の構造自体が奇跡的であり、ましてや感情という形容しがたい資質を持ち合わせていることも奇跡でしかありません。70年の歴史でいうと、25.500日、613,200時間無事に過ごしてきたのです。そんな気が遠くなりそうな環境下で、喜び、怒り、悲しみ、楽しんで生きてきたのだと、つくづく思い返すのであります。まさに、「無事これ名馬」なのであります。今までとこれからは、その人の年齢によってそれぞれ長い短いがありますが、各自で現状を把握してみるのも良い機会になるのではないでしょうか。今までが反省の連続で、試行錯誤の積み重ねであったとしても、これからは、その経験を基にして意義のある生活ができるでしょう。これまでがまだ、一般的に短い期間であったとしても、将来が長いとは限りません。もちろん、それで悲観的になる必要は全くなくて、ポジティブに有意義な明日を積み重ねていくことが大切なのです。良くも悪くも人生とは積み重ねなのであります。自分の人生で何が正解なのか、その答えは、人の数だけ存在するのです。自分の人生の自叙伝は、総ての人が書くことができるのです。今年のお盆は、ご先祖様の供養と感謝と共に、今一度、自分自身の現在位置を認識しておこうと思っています。