真夏が過ぎた世の夢
2024.10.20
現在の大阪の街、全く盛り上がっていません。阪神タイガーズが連覇を逃したから、ではありません。残念ながら僅差でセリーグ制覇を逃しましたが、熱狂的タイガースファンは、ある程度織り込み済みなのであります。戦力の上積みなし、各選手の相手チームによる弱点研究、他チームの積極的な戦力補強など、各ファンは、負けるべく原因をとっくに把握しているのです。それは恐らく、交流戦時期に打てない、得点できない状況で、敗戦が続いた時辺りからです。昨年と同じ戦法、戦力で、勝ち続けられるほどプロの世界は甘くないのであります。では、何が盛り上がっていないのかというと、万国博覧会なのです。大阪で開催するとぶち上げて、膨大な費用を掛けて漠然と埋め立てた大阪港に、思いつきのように開催に手を上げた某政治家たちの発案が、今、我が大阪を息絶え絶えにさせて行ってるように感じるのであります。それは、参加表明国が、どんどん辞退して行っていることや、計画全体の経費が、無尽蔵に膨れ上がっているせいなのです。近年の国際情勢では、次々と頻発している国家間の紛争のため、都市も自然環境も次々と破壊されています。その失われた資産を復興させるためには、相当の年月や費用が掛かるものと思われます。そのような環境下で、もはや世界的なネットワークインフラ下で、あらゆる情報を入手できる時代に、見本市的な博覧会が本当に必要なのでしょうか。もちろん、何かワクワクする新しいものを見ることができるという大きな期待もあるのですが、それが万国博覧会だけなのかというと、今の時代ではバーチャル視聴も可能だし、交通網の発達した現代では、各国に赴くこともできるのです。世界が一堂に集まってアナログ的に博覧会を行う必然性は本当にあるのでしょうか。昭和45年に開催された大阪万博は、何もかもが、観るものすべてが、新鮮で、驚異的なのでありました。シンボルである太陽の塔、人類が初めて持ち帰った月の石、歩きながら食べるハンバーガーなど、未来をだれもが想像できる華やかで、ワクワクする最高に楽しいお祭りでありました。それが、今はどうでしょうか。みんなワクワクしているでしょうか。大きな期待を胸に抱いているでしょうか。老婆心ながら私たちが今思うことは、たくさんの税金を投じて大阪に住む私たち、いや、観覧のために入場するであろう日本中の人々が、何を期待してどんな結果を待ち望んでいるのでしょうか。膨大な量のゴミ、廃棄物で、目的もなく埋め立てられた砂上の楼閣に、思いついたかのように提唱されたイベントを実行しようとしている行政、国に何を望めばよいのでしょうか。思い付きと言えば当初空飛ぶ車を運行すると豪語していた主催者は、早々とこのことを撤回しました。それはそうでしょう!何のエビデンスも無く、現時点で実験、実績も乏しい空飛ぶ車など実現できるわけがないのです。そう、一事が万事で、聴衆受けすることばかりをマスコミを利用して街宣するやり方は、現在の大阪の行政が、常套手段とするやり方なのです。思い返せば、大阪府や大阪市は、バブルのころに自治体所有の土地を、官民共同の第三セクターなどという耳障りの良い言葉で商業施設やレジャー施設に莫大な資金と投入しました。そして、そのバブルが弾けて、甚大な損失を府民、市民に被らせた時代があったのです。そんなことは、馬耳東風でとっくに忘れ去っているのでしょうか。政治家というものは、失敗を教訓として、正しいことを見いだそうという糧は無いのでしょうか。話を戻しますが、今回の大阪万博が、全く盛り上がっていないのは、ひとえに政治不信なのではないでしょうか。お隣の兵庫県では、知事のパワハラを根源とした施政と行政の問題が噴出しています。直近では、新しい内閣総理大臣が決まりました。今までよりは良い、という僅かな期待はありますが、実際、冷めたまなざしで多くの国民は見ているのではないでしょうか。コロナ禍で揺れ、自然災害で苦しみ、無能な悪政で生活を脅かされる私たちの明日は、どうしていけばよいのでしょうか。それは、私見ですが、幼少からの正しい教育だと思うのです。全国民が、各自の意思で、いつでも自由に学ぶことができる環境創出だと考えます。学ぶ環境、学ぶ興味、それを継続できる国の制度が確立されれば、豊かさを取り戻せるのではないでしょうか。そのためには、学びは無償であってほしいのです。これは、あくまでも将来に向けての願望なのです。