自分物語から

2021.12.20

 今年も1年の総括をする時期となりました。2年も続いているコロナ禍という、様々な制約の下で、多くのストレスを抱えた年であることに変わりはない状況でした。マスク着用という習慣が、感染予防対策に効果を発揮している反面、人々の表情を隠してしまうことによる感性の阻害、心情の読み取りにくさを生じさせる原因であったことも否めません。また、あらゆる会議、親睦会、スポーツ観戦も多くの制約を受け、人々が集まれない状況が続きました。一堂に集まれない環境は、リモートコミュニケーションという新たな手法を導き出しましたが、進行のスムーズさに欠け、意思の疎通の妨げにもなりました。コロナ感染に対する疑心暗鬼は、過剰な自己防衛気質を生み、気持ちを荒ませることの助長となり、殺伐とした人間関係を作り出しました。悲しい暗黒の期間であります。まさに、臥薪嘗胆を余儀なくされたのです。しかしながら、多くの我慢というストレスを強いられながらも、その日常は経過していくものであり、日日是好日よろしく、小さな楽しみ、細やかな喜びを見つけて暮らすことができたのであります。人間社会において今後、コロナ禍はどのように変遷していくのか予断を許しませんが、我々の日常も英知の限りを尽くして対処していくしかないと思います。治療薬も続々と承認されていくようです。新たな変異株に対しても医療、製薬分野では、対応できるニュースが報告されています。あきらめない、コロナウィルスに対しても人間はあきらめない、そして、その先の思い出話になるまで、臨機応変に、アグレッシブに暮らしていきたいものです。

 さて、私生活の総括は、それぞれ環境が違うのですから、自分たちで振り返りをするのですが、仕事の分野ではどうでしたか。満足できる仕事ができましたか。人は何のために仕事をするのか、仕事をする目的は何なのか、考えることはありますか?仕事とは、自分史の史実であると思うのです。いくつになっての振り返りも自分の歴史の回顧だと思います。自分がしてきた仕事の内容は、総て経過、結果として残っているのです。確固たる意思に基づいた仕事内容も、惰性でした仕事も自分の歴史であるのです。仕事の内容を1年単位でも5年単位でも振り返るとき、そこには何かしらの満足感や充実感、反省、ひょっとすると後悔もあるのかもしれません。何れにしても自分自身で積み重ねてきた自分の歴史であるのです。その歴史とは、将来の夢や構想ではないのです。自分自身には、今を起点とした過去と未来があるのですが、どちらが大事かと言えば、先ずは、積み重ねた過去が大事と私は考えます。どんな仕事にも最後には、人が存在します。人のためなのです。漁師さんの獲った魚は、私たちが食卓でいただきます。農作物もそうです。工場で作られる品物も最後には人の役にたつのです。弁護士や税理士等の士業の先生もエンドユーザーに貢献してくださいます。どんな仕事も最終的には人々の元に届くのです。だから、どんな仕事も大切なのです。今を振り返ればその仕事が積み重なっているのです。仕事というものは、自分の生活の糧であることには間違いありません。しかし、そう考えると最後は、自分のためということで完結してしまいます。もちろんそうなのですが、自分の仕事の後を考えてみてはどうでしょうか。自分の仕事の次には、部下や上司が居ます。エンドユーザーの消費者が居る仕事もあります。家族もいます。友人、知人もいます。そう、自分の歴史に関わってくれた大勢の人たちが存在するのです。皆さんで考えてみてください。自分の仕事は、誰の役にたっているのだろうか、と。多くの人たちが浮かんでくると思います。決して自分だけのためではないことが分かります。今年も1年、みんな自分の歴史を作りました。それは、1ページかもしれないし、100ページかもしれません。新年は果たしてみんなどんなページで始めるのでしょうか。良いお年をお迎えください。