あきらめない

2021.09.20

悲喜こもごもの東京2020が終わりました。いくつもの感動と、たくさんの勇気をもらいました。開催前は、中止すべきだという世論が半数を上回っていました。多くの人が、コロナ禍を増幅させるという考えに基づいて反対をしました。確かに、時を同じくしてデルタ株が急激な勢いで拡散していったのではありますが、オリンピックとの因果関係は断定できたものでは無かったし、むしろ、開催を中止していても急速に広がっていたと考えます。そのような土壇場で、4年間努力を積み重ねた上にコロナの影響で更に1年間の延期を余儀なくされたアスリートたちにとっては万全の調整とは行かないままでも、競技できたことに大きな喜びを感じ、最高のパフォーマンスで臨んだと思います。おそらく、開催に反対していた人たちもテレビ放送を通じて、そんなアスリートの精一杯の姿に、たくさんの感動を得たのではないでしょうか。物事に、たら、れば、は禁物ですが、もし開催がなければ、究極の我慢を強いられているコロナ禍の暗い世相の中で、国民はさらなるストレスをため込んでいたのではないでしょうか。勝って歓喜し、負けては悔しさを露わにしたことで、少なからず発散できたのではないでしょうか。卓球の混合ダブルスで、水谷・伊藤チームの準々決勝のドイツ戦で、フルゲームの接戦の末、奇跡的な勝利を得ました。第7ゲームの5-9という劣勢から、先にマッチポイントを取られましたが、10-10のデュースとして、常に先にマッチポイントを取られながらも粘りを見せました。そして、これまで数々の逆境を乗り越えた水谷選手が、強烈なドライブを連続で決め、再々、デュースに持ち込みました。水谷・伊藤ペアはこのピンチをしのぎ続け、最後は意表を突いた伊藤のロングサーブが見事に決まり、16-14の大逆転でこの大熱戦を制したのでした。これが快進撃の始まりだったのです。準決勝で台湾チームを破り、迎えた決勝では、世界最強の中国ペアと戦い、そして見事に宿敵である中国を破り、金メダルを獲得したのです。歓喜のあまり、伊藤選手に思いっきりハグをした水谷選手と、少し戸惑いながらも満面の笑顔だった伊藤選手の映像は今も瞼に焼き付いたままであります。柔道も素晴らしい対戦の連続でした。対戦前の期待が大変大きかった阿部一二三、詩兄妹の金メダルもプレッシャーにも負けずに勝ち取ったのです。特に、兄の一二三選手の66キロ級国内代表になるまでの戦いが、今後も伝説として残るであろう凄まじいものでした。昨年の当初のオリンピック開催前に行われた丸山丈志郎選手との壮絶な決定戦、その代表を勝ち取った試合が鬼気迫るものでありました。通常4分の競技時間で決着がつかず、時間制限無しのゴールデンタイム(延長戦)と合わせて24分もの死闘を繰り広げたのです。柔道で24分もの時間を戦うのは尋常ではありませんでした。そしてその死闘の結果、阿部一二三選手の渾身の大内刈りによって、劇的な最終決着となったのです。悔しさを露わにしながらも丸山選手は、「肉体的にも、精神的にも強くなれたのは阿部選手の存在があったから。彼の存在が僕を成長させてくれた」と終了後に語っています。ライバルの存在が大きく自身の成長を促したのは阿部一二三選手も同じだったでしょう。「丸山選手がいたから強くなれた。大きな存在だった」ふたりの世界王者がどの階級よりも長い代表レースを繰り広げた日本の男子66キロ級の代表決定戦は、そのまま世界の頂上決戦でもあったのです。このオリンピックで日本選手は、たくさんのメダルを獲得しました。女子ソフトボールも13年越しの金メダルです。競泳、レスリング、空手も多くのメダルを獲得しました。しかし、メダルはなくともみんな胸を張って競技を終えました。コロナの脅威に負けず、開催中止を叫ぶ世論にも負けず、ベストを尽くしたのです。本当は、この感動を子供たちに競技会場で直に触れてほしかったと、そのことは残念でなりません。この2年近くコロナウィルスに翻弄され続けた私たちの閉塞感は、まだまだ続くでしょうが、アスリートに倣い、困難に耐え、何事にもあきらめずに頑張りたいものです。