感動の裏側にあるもの

2021.08.20

コロナ蔓延の渦中に1年越しの東京2020オリンピックが始まっています。いや、これを読んで頂く頃には終わっているでしょうか。緊急事態宣言下で世界中からアスリートを集め、コロナ禍の大いなるリスクのもと、開催されました。まことに矛盾に満ちた決断でありました。主催者であるIOCは万全の対応で臨むといっていましたが、コロナリスクの対応に万全などあろうはずがなく、断片的に感染者が出てしまいました。オリンピック競技の報道の陰で、医療従事者の人々の緊急事態は、想像を絶する事態になってはいないでしょうか。医療体制がひっ迫している状況は、誰もが容易に想像できるのではないでしょうか。東京都は、初めて1日当たり4千人以上の感染者を出す状況であり、全国的にも感染者が増え続けているのです。このように、もう1年半以上もコロナ禍が断続的に経過するともう、あきらめの境地に陥ってしまいます。マスクや換気などの予防は役に立たず、感染者は増え続けている現状からは、ワクチン接種が行き渡り、有効な治療薬が確立するまで収まらないような気がしてきます。コロナウィルス自体はどんどん変異しているわけです。この脅威から逃れることができるのは果たしていつになるのでしょうか。今はオリンピック競技選手の華やかな活躍で、一旦コロナの恐怖は収まっていますが、本当の恐怖はその後に襲ってくるのではないでしょうか。オリンピックのような世界的なイベントの終了後は、一般経済が停滞、若しくは後退すると言われています。もし、今以上にコロナ禍が拡大して、経済が更に停滞すれば我々の生活はどうなるのでしょうか。現政府が無策に思える状況で、大きな不安材料なのです。オリンピックの開催は、私たちに様々な感動を与えてくれて、やっぱり良かったと感じます。しかし、そんな国民感情の裏で、満足できるコロナ対策を打ち出せない政府、自治体には失望の念を禁じ得ません。そして、人生の中で何度も経験できない自国開催のオリンピックでありながら、各競技場で直に観戦できない無観客開催が残念でなりません。せめて国内の観戦者だけでも入れることはできなかったのでしょうか。テレビでなく、目の前で世界の選手が競技する姿をみた子供たちは、感動と共に、大きな夢を抱けたに違いありません。プロ野球もJリーグも観客を入れているではありませんか。日本人だけの応援では外国選手にアウェイ感を与えるからと、配慮したのでしょうか。日本国内のチケット購入者にワクチン接種をして観戦させることはできなかったのでしょうか。不公平?職域接種は実施したではありませんか。いや、ワクチン数が足りなくて、中途半端に中止したようですが。アイデアに乏しく、実行力に欠け、後手後手の対応は、まさにお国柄と揶揄されることになってしまいます。そもそも、何故このコロナの流行が今なのか。まさに、オリンピックの開催に合わせたかのようなこの1年半なのであります。人災なのか天災なのか、私はまだ大いに疑念を持っています。軍事国家は、核兵器と共に細菌兵器を研究していると聞きます。この二つに無人兵器を加えると、戦争の三種の神器が確立されます。いや、神器などと、神はそんなものを与えるはずがありません。悪魔の人器なのです。 そして、いつかどこかでこれらの兵器を使って戦争をするのでしょうか。我々は、いつかその戦争に巻き込まれるのでしょうか。第三次世界戦争が現実に起これば、次は間違いなく人類は滅亡します。コロナウィルスがこれらの一端でないことを祈るばかりです。平和の祭典であるオリンピックが土壇場で開催されたことをポジティブに捉えたいと思います。アスリートの究極の集中力をやっと見ることができたことが感動です。しばし、その感動をみんなで共有したいものです。