果たして禅定か

2020.09.20

 カレンダーを見るといつの間にか残りの日が、少なくなってきました。あっという間に日が経っていく気がする今日この頃です。今年はこれまでコロナ禍に翻弄されましたが、まだこれからもコロナ禍は続くのでしょうか。例外なく総ての人が、コロナ感染の恐怖に抑圧され続ける毎日は、さながら太平洋戦争中の軍による統制下で、人々が暮らしているようなことなのかもしれないと感じます。もちろん、私は戦争を経験しているわけではありませんが、祖父母や父母から伝え聞いた様子と重なる気がしてなりません。去年までの平穏な日常が、新型コロナウイルスによって、我慢を強いられ、感染の恐怖をもたらして、親族の相互の出会いさえも制限させる事態に陥っているのです。医療関係の方たちは、留まることのない検査や治療に疲弊して、飲食に従事している人たちは、売り上げも無いままに家賃だけを払わざるを得ない苦難が続いています。観光関連の職業も大きなダメージを負っています。果たして去年までの日常に戻るのは何時なのでしょうか。一刻も早く治療薬やワクチンができることを祈るばかりです。

 そんなコロナ騒動も収まらない最中に総理大臣の首がすげ替えられることになりました。激務に追い打ちをかける持病の悪化が原因とのことです。確かに総理大臣というのは、黒子の官僚のもと、ある意味、中途半端な指揮権を行使する各大臣たちをまとめる役割ということでは、なるほど激務でしょう。大臣の中には、頓珍漢な答弁をして野党につるし上げられて辞任を余儀なくされる人物も居りますし、贈収賄事件で世間を騒がせている人物もいます。まさに一般企業にもあるあるの組織構造の中での出来事ではありますが、国政というのは、国民総意に基づく施政なのですから、すべての国民が納得できる仕事ぶりでないとだめなのです。国政の場とは、本来法律を吟味して、また、その法律を改正して国民の生活がよくなるように努力することです。時には、国民の生活がよくなるように新しい法律を懸案して、制定していくこともその仕事なのです。なんとか委員会というのが、そのための議論の場であります。さて、小難しいことはさておいて、今まさに次の総理大臣が決まろうとしています。この文章を読んでいただくころには、すでに決定していることと思いますが。さて果して、その人物は皆さんが善しとする人物でありましょうか?どうでしょう。今回もまた、多数決の原理、即ち、派閥の背景を有した人物がなっていることでしょう。そもそも、この時点で国民の総意などという美辞麗句は霧散しているのです。総理大臣を決める方法、少し変えてもらえないでしょうか。皆さんは、昔、学級委員長を決めるとき、何を基準にしましたか。大抵は、勉強ができて、まじめで、走るのが早い人を選びませんでしたか?いや、三番目はどうかわかりませんが、大体みんなの総意でなっていたような気がします。間違っても乱暴で、口先ばかりで、朝令暮改の子は選んでなかったはずです。そして、学級委員長の資質として最も求められるのは、担任の先生の後ろ盾だったのではないでしょうか。そう、概ね、いわゆる良い子なのです。国会議員もこの判断基準だけで選ぶことができれば意に沿った任命ができそうな気がするのですが。もっとも、学級委員長も地場の名士の子供であるとか、PTAの会長の子息であるとか、そんなこともあったような。え?結局一緒ですか?あー、分からん!何れにしても、今回もこれまでの例外なく選出されて、為政していくことでしょう。願うことはただ一つ、国民の生活が少しでも、いや、ものすごく良くなるように手腕を振るってください。魑魅魍魎の環境の中で、正義を持して、コロナ対策、経済対策、医療環境の改善、よろしくお願いします。