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昭和のヒーロー列伝
2025.06.20
巨星墜つ、読売巨人軍の長嶋茂雄氏が逝去されました。現在のプロ野球を語るには、無くてはならない人でありました。例えおらが地域の贔屓チームがあっても、この人の存在無くしてプロ野球は、語れないのでありました。それは、長嶋さんに素晴らしい野球の才能や技術があったからだけではなく、この人が醸し出すその人柄や、言動に魅了されたからなのです。野球ファンは、それを華があると表現しました。行動といい、言動といい、見る人々すべてを引き付けたのであります。単に野球の対戦を観るだけではなく、この人の一挙手一投足に胸を躍らせて見入ったのであります。そして、私たちの常識では考えられない行動も忘れられないのです。ネットからの引用でその一端を書きます。有名なのは球場に息子を忘れて帰宅したこと。 他には、試合後に「車の鍵がどこにもない」と長嶋さんがあたふたとマイカーの鍵を探し始め、他の巨人軍の人たちも一生懸命探していたら、しばらくして本人が「今日は車で来ていなかった」と、マイカーで来ていないことを思い出したこと。長嶋さんが監督の時にドラフト1位で指名し、本人の家まで行って巨人に入団するように説得、後日、本人が入団の挨拶に行ったら長嶋監督が「どちら様?」アメリカに行き「向こうの子供は英語がうまいねえ」「向こうは外車ばかりだね」好きな四字熟語は「長嶋茂雄」、蕎麦屋で大将から30分、作り方を聞いておいて 席に着いたらカツ丼を注文した、など枚挙にいとまがありません。天然ボケといいますか、今どきの面白くない芸人よりも大うけするやり取りなのでありました。しかし、そんな陽気な長嶋さんでありましたが、2004年に脳梗塞を患い、半身不随となってしまったのです。その後は、言葉遣いもおぼつかない様子でありましたが、持ち前のポジティブさを発揮してリハビリに励み、時々マスメディアにも登場して人々を和ませてくれたのです。脳梗塞を患ってから21年間のリハビリ、後遺症との闘いは、アスリートであったことの証明なのです。もちろん、そのそばには、次女の三奈さんが付き添い、かいがいしくお世話をしていたのであります。羨ましい光景でありました。その反面、長男のK氏は、バラエティ番組に出まくり、ハワイ自慢をして、まるで実績のない僅かなプロ野球人生を自慢げに話しているのです。実情は知りませんが、葬儀の喪主を次女の三奈さんが行うということが、それらのことを物語っているのかもしれません。長嶋さんを語る時に、もう一人、この人のことも語らぬわけにはいきません。王貞治さんです。それぞれの頭文字をとってONとしてあの読売の黄金期を築いた人であります。一本足打法というものを編み出して、ホームラン王として名をはせ、世界記録となる868本のホームランを打ったのであります。当時は、長嶋派と王派が読売ファンを二分していたのですが、私の場合、左投左打ちということもあり、王さんのファンなのでありました。えっ?阪神ファンなのではと?そうなんです。小学生当時は一時読売ファンなのでありました。なぜなら少年漫画雑誌もテレビ中継もすべて巨人なので少年たちは大体が読売ファンだったのです。「巨人の星」世代なのであります。しかし、思春期を迎えると、読売巨人軍の9連覇日本一という状況があまりにも強すぎて面白くなくなり、地元大阪に目覚めたのであります。阪神、阪急、近鉄、南海という在阪球団がありましたが、そこからタイガースファンになっていくのです。しかし、当時は弱かったぁ。でも判官贔屓といいますか、思春期の世間への反感も手伝い、以後は、阪神ファンと化し、今や熱烈なファンと変貌しました。自分自身でよくよく考えてみると、「巨人、大鵬、卵焼き」の時代から「阪神、柏戸、冷奴」であったのです。要するに上を追いかける2番手が性に合っていたのかもしれません。だから車も、T社よりもN社なのかも。果たして技術のN社は生き残れるのか、はたまた、業績回復できるのか。長嶋茂雄氏のご冥福を祈りながら現実に思いをはせるのです。合掌