兵どもの夢のあと

2025.10.20

何やらマスメディアが賑わっています。阪神タイガースとソフトバンクの優勝、高市自民党女性総裁の誕生、坂口志文特任教授のノーベル賞受賞、大阪万博の閉幕など、まだ暑い秋を迎えて話題満載です。これまで秋と言えば味覚の秋、スポーツの秋、心地よい秋風の誘いというイメージでしたが、どうも今年も短い秋をはさんで、夏から冬という展開の様相です。皆さんの中では、現在、どのようなイメージなのでしょうか。この文章を読んで頂く頃には、もう大阪万博は閉幕しています。半年間という開催期間があるにもかかわらず、私は、ようやく今月の初頭に初めて訪問しました。この日まで地元大阪での開催であるにもかかわらず、あまり行く気が起きなかったのです。色々その理由は有ったのですが、最初のころは、地元開催だからいつでも行けるという感覚でありました。そうこうしている間に、極めて短期間の梅雨が明けた6月以降は、激烈なる猛暑に連日見舞われて、その訪問意欲をことごとく萎えさせたのであります。しかし、この時点では、9月の声を聞けば少しは涼しくなってそのチャンスに行こうと考えていました。しかし、時すでに遅し、9月初旬に開幕前から所持していたチケットのエントリーを思いついたころには、かろうじて入場の予約はできたのですが、人気のパビリオンの予約は、ことごとく落選となりました。オーマイガー!この時にやっと自分自身の見込みの甘さに気が付いたのであります。もちろん、事前情報で閉幕直前は、駆け込みの訪問で、期間中最多の入場環境になると理解していながら、悪癖の何とかなる精神が、大いに災いとなってしまいました。結局、入場はできたものの、主たるパビリオンは総てが、3~6時間待ちの行列ができて、全く並ぶことさえ不可というパビリオンだらけでした。しかし、大屋根リングに上がって散策したり、人気のパビリオンを横目で見ながら、たまたまアンゴラ館の前を通り過ぎる際に、何やら小太鼓を使ったライブに出くわして、偶然にも異国情緒を味わえました。まさにこの雰囲気こそが、万国博覧会なのだと今更ながら、認識を新たにしたのでありました。その昔、昭和45年開催の大阪万博の時は、弱冠16歳の高校2年生でありましたが、この当時の日本全体の盛り上がりは、まさに数十年先の未来空間を、垣間見れるという熱気にあふれていました。あらゆる人々が、未来都市を彷彿とさせる各国のパビリオンに殺到したのであります。故に、私自身も訪問回数は7回を数え、暑さにも負けず、溢れ返る人の波にも動じず、嬉々として訪れたのであります。町中に三波春夫のテーマソングが流れ、芸術は爆発だ!のフレーズで、岡本太郎氏の作品、太陽の塔を見上げていたのであります。今もその塔は、万博記念公園にそびえており、見るたびにその当時の熱気を思い出します。モノレールや動く歩道、随所に設置されたエスカレーターなど、観るもの総てが日常を越えた未来都市なのでありました。今回の大阪万博も未来を想像できる様々な演出が施されていたようなのですが、想像を絶する、というほどの感動は無かったのではないでしょうか。空飛ぶ車のデモンストレーションがありました。ドローンショーもありました。大屋根リングも立派でした。しかしながら、ろくにパビリオンにも入れていない自分ではありますが、何せ、現代のネット環境、電波環境を通じて、知らない情報はほぼ無いように感じます。実際に観るのか、メディアを通じて観るのか、さほど違いは無いように感じたのです。とはいうものの、その臨場感は、実際に訪れて別格の感動がありました。次にまた、大阪近辺で国際万博が開催されるのであれば、今回の経緯は反省で済むのですが、おそらくこんなチャンスは、もう巡ってこないであろうという観点で、これは後悔しか残らなかったという顛末であります。兵どもの夢のあと、この舞洲のあらゆるパビリオンは、ほぼ産業廃棄物として廃棄されるようです。一部分は、残されるようですが、そのことが何か寂しい気持ちになります。今後、この舞洲は、IR、即ち、integrated resortとして国、大阪府が開発しようとしていますが、果たしてそれが国民総意、府民総意の夢と希望になり得るのでしょうか。お手並み拝見、というよりも、過去の大阪府が、第三セクターとして関与した都市開発で、ことごとく失敗した経緯の反省も無く、同じ轍を踏まないことを祈るばかりです。