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回顧・北の国から

2021.04.20

俳優の田中邦衛さんが亡くなっていました。報道には10日ほどのタイムラグがありました。ここ数年は、メディアにも全く露出が無かったので、気にはなっていたのです。テレビでは早速、緊急特番が設けられ、「北の国から」の名シーンが放送されていました。「北の国から」の黒板五郎は、田中邦衛さんの俳優としての存在を確固たるものにしたドラマであり、倉本聰世界を国民に印象付けた作品でありました。このドラマが放映され始めたのが1981年からなのですが、このころ自分は、前職で北海道に赴任していたころであり、このドラマの背景をしっかり認識できたということもあって、隣の町で展開しているような感覚で視聴していたのでした。そして、このドラマは、約20年に亘って放送されたのです。だから、スタート当時にドラマの設定同様、純役の吉岡秀隆さんも蛍役の中島朋子さんも年齢を重ね、まるでドラマの進行のままに成長したように思ってしまいます。北海道という大自然に抱かれた環境の中で、黒板五郎という素朴でまじめで一本気な父親と、名前の通り純粋でありながら好奇心に溢れ、時として暴走する長男の純、そして、父親が大好きで、兄が反面教師でありながら、常に暴走する兄を気遣う心優しい妹の蛍。大自然での開拓精神に満ちた日常生活と、人の心の奥底の喜怒哀楽を交錯させたストーリーは、観るものをぐいぐいと引き込んでいったのです。もちろん、このドラマを語るには、倉本聰さんの脚本家としての存在を語らずにはいられません。萩原健一主演の「前略おふくろ様」、高倉健主演映画「駅・ステーション」、最近では、「やすらぎの郷」「やすらぎの刻」の昼間の帯ドラマが話題となり、人生の晩年を考える老年期の人々の共感を得たのでした。「北の国から」の以後、倉本氏は、舞台となった富良野に脚本家や俳優を養成する私塾の富良野塾を開設したのです。そもそも、脚本家は、いかにして人間の心の中を表現するのか、そして、人の心の動きを現わしていくのかということが求められます。そして、俳優はその脚本に描かれた人間そのものの意図を外さず、いかに正確に演じるかということが求められるのです。演じるということは、十人十色、いや、百人百様と言われる様々な人間を表現しなければならないのです。私たちは、ともすれば、その演じた俳優の人間性をそのまま俳優の人物像にしてしまいがちですが、決してそうではないのです。しかし、脚本家にしても俳優にしても人間の深層心理を全部理解できるはずはないと思います。人間の本質をすべて持ち合わせる人は存在しません。だから演じるのです。善人でも悪人でも演じることはできるのです。そう、時代劇の人物にもなれるのです。そういう意味では、田中邦衛さんも決して黒板五郎ではないのですが、あのドラマでの素朴で頑固で、そして大地のような包容力のある優しさは、決して演じているだけのものでは無かったと確信しています。ドラマの世界や映画の世界で演じておられる俳優さん、女優さんを評価するのは私たち自身なのですが、実際は、その評価は自分そのものなのかもしれません。映画やドラマの世界でも、小説の世界でも主役は自分自身なのです。黒板五郎や純、蛍、おば役の竹下景子さんの雪子、なかはたのおじさん役の地井武男さん、みんなのその心情が分かることができるのは、総てが自分自身の心情であり、共感であるような気がします。そう考えると自分自身も俳優として演技できるはず?いや、それは無理か。必ずばれていますから・・・?。次々と名優も天に召されていきますが、自分の寿命は、誰しも演じるというわけにはいきません。だから、これからの一日一日は、演じることなく、今まで以上に真摯に、大切にしていきたいものです。