アンフェア

2018.06.20

報道閑散期のせいかしれませんが、長きにわたり、日大アメフト関連のニュースが連日報道されています。今回の事件は、フェアプレーが前提の学生スポーツにおいて常識を逸脱した出来事であり、選手生命を、いや、人間の生命さえも奪いかねない大変危険な出来事でした。また、それがアクシデントとして起こり得たのではなく、組織ぐるみの方針の中で起こったということが各マスコミを揺り動かしたのです。おさらいすると、関西学院大学のクォーターバックがパスを投げ終えてしばらく後で、相手ディフェンスバックの選手が故意に、完全に無防備な背後から強烈なタックルをしたことが問題視されました。人間は、視界に入った危険を察知することはできます。身構えることができるからです。しかし、視界にも入らず、常識、公正な状況下で、よもや背後から不正なタックルをされるとは想像もできないのです。かつて関学は、数十年前に猿木氏という名クォーターバックが存在していました。その猿木氏が試合中に強烈なタックルを受け、頚椎損傷で以後、車いすの人生を送ることになったという不幸な負の歴史を経験しているのです。当時、私もアメフト界に身を置いていたため、総ての出来事を未だに鮮明に覚えています。そのため、関学サイドは、公正なプレーはもとより、強烈なタックルに対しては練習も含めて、強靭な体力づくりを行い、徹底的なフェアプレー精神と共に、十二分の対応をして来たと思います。そもそもアメフトとは、野球の国の米国で生まれ、野球、ラグビー、サッカーの特色をいろいろ持ち合わせたスポーツとして完成しました。野球のように攻守交替のタイミングがあり、サッカーの蹴るという手法と、ラグビーの楕円形のボールを取り入れ、人間同士のタックルも可能なのです。米国人の合理性が生み出したスポーツとも言えます。ただ、楕円形のボールでもラグビーとは似て非なるもので、ラグビーはボールを持った人間にしかタックルができませんが、アメフトは、ボールを持った選手の進路を確保するために相手選手をブロックすることができ、そのブロックをする選手にタックルをしたり、ボール持って走る選手に強烈なタックルによってその進路を阻みます。アメフトは、常に選手総てが相手選手と激突するため、フェイスガードの付いたヘルメットや全身の防具を身にまとい、その常習的な衝撃から身を守るのです。アメフトの魅力は、選手同士が至近距離で激突し合い、ボールを進めていくことが最大の魅力であるのです。粗野で粗暴なスポーツのように思われるでしょうが、一つ一つのプレーは、攻撃側、守備側共に、緻密な動きを計画的に行います。これは、フォーメーションと呼ばれ、1チーム11人でプレーするのですが、11人の動きが総て決められています。どのチームにも何百というフォーメーションがあり、各選手は、全フォーメーションの動きを総て覚えてプレーに臨みます。これは、軍隊の動きにも例えられ、そのプレーに全米の人々が熱狂するのです。今回の日大事件は、このハードであるが故の結果ではなく、スポーツマン精神を大きく逸脱した傷害事件として問題を引き起こしたわけです。アンフェアなことを指導者が指示することぐらい恐ろしいことはありません。健全なるスポーツが、犯罪にもなりかねない悪行として姿を変えてしまうからです。スポーツ競技に関わると、怪我というものからは逃れられません。しかし、その怪我を未然に防ぐためにみんな身体を鍛え上げていくのです。より高度な技術を身に着けたいと思えば思うほど、身体を鍛えなければなりません。スポーツは高度になればなるほど危険が付きまといます。フェアであることと相手を倒すこと、相反することのように思えますが絶対的なフェア精神の下、相手を負かすことがスポーツなのです。スポーツ以前にフェアな精神を、もの心が付く前に学びたいものです。流されない気持ちとともに。